昨年私がプレゼンさせてもらった「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会」の報告会が先日あり、その中でプレゼンされた方の言葉
Camino人種
Camino体験者は一緒に歩いた訳でも、同じ年に歩いた訳でも、ましてや色々な道があるので同じ道を歩いた訳でもないのに
「まるで同じ言語を話している同士の感覚になる!」
なぜだろう??
更にCaminoの道中では外国の方と片言での会話なのに、お互い何か通じ合っていると感じる
なぜだろう!?
「クロノス時間」と「カイロス時間」って、ご存知ですか?
「クロノス時間」:過去から未来へと一定速度・一定方向で機械的に流れる連続した時間
「カイロス時間」:一瞬や人間の主観的な時間を表す。内面的な時間
「カイロス時間」は例えれば、同じ1時間でも楽しいことをしているのと、退屈なことをしてるとは時間感覚が違う事
その時間軸からCaminoを見てみると
「Camino時間」がある様に思える
飛行機に乗ればあっという間に数百kmを移動できてしまう現代において、Caminoはあえて自分の足で歩く
それも10kgものザックを背負って歩く
遠く彼方に見えるあの教会まで、一歩一歩 〜 歩みを進める
すごーく遠くに見えたその教会が段々と近づいて来る
一歩一歩のその体感
目に見える景色がゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと変わって来る
聞こえて来るもの、肌の感触、足の裏で感じるもの、ザックを背負った肩や腰の感触
その感じ方が少しづつ、少しづつ、少しづつ変わって来る
その体感が「Camino時間」なのだろう
その「Camino時間」を体感した人が「Camino人種」なのだろう
なので「Camino人種」同士は年齢・性別・国籍を超えて通じ合える
そして「Camino人種」は帰国してからもCaminoの話をしている時は「Camino時間」の体感に近い状態に戻るのだろう
そうそう、Caminoを終えて、帰国の前に重いザックを宿に置いて観光をしている時に感じるのは
解放感よりも
「重いザックを背負わないで歩いて良いのだろうか〜??」と言う罪悪感!!
これって巡礼者の宿命 (^^;)
そしてその体感の後に襲って来る
「あ〜〜終わってしまった。もう歩けないのか。。。」のCaminoロス
これも「Camino人種」の体感なんだよね〜〜
そして次のCaminoの計画を練り始める🎶